(もうリハが始まるってのに、あの馬鹿また遅刻かよ?)
さして広くないステージの中央で、自身のギタ―をチューニングしながら、優介は苛々していた。
先日のミーティングであれ程念を押したのに、左隣のマーシャルの前には未だ誰も居ない。思わず舌打ちすると、他のメンバーから声が掛かった。
「ユウ、心配するな。そのうち来るから」
「そうそう、コレで本番来なかったらクビだって、幾らアイツが馬鹿だって判ってるからよ」
いつも冷静にベースを弾くダグが落ち着かせようとすると、ドラムの光洲が帽子を押さえ、そう茶化す。優介は不機嫌なまま鼻で笑うと、ステージ向かいにあるPA卓に声を掛けた。
「んじゃ、横田さん! 一匹居ないけど、取り敢えず音出します」
「おう、いつでもどーぞ」
このバンドが一人欠けた形でリハーサルするのは、さして珍しくない事だ。もう慣れたと言うように横田は軽く頷き、セッティングシートを見ながら、傍らのヘッドフォンを耳に当てた。
――アンダーグラウンド・アトラクション。
優介がフロントを務めるバンド『○○○○』を唯一出演させてくれる、貴重なライブホールである。キャパシティは百五十人程だが、繁華街の中にあ
る利便性と、横山の定評ある音作りで人気は高い。
今夜はホール側が企画したブッキングライブで、共演する対バン達とは、ジャンル的にもルックス的にも、どうにも違いすぎて仲良くなれそうにもない。おまけに誰かの『代打ステージ』とくれば、ライブの告知も満足に出来ない状態での本番である。
それでも(大概約一名のせいで)喧嘩沙汰が絶えず、他のライブハウスで出入禁止ばかり食らっている優介達にとっては、こうして演(や)れる場所
を回してくれるのは、本当にありがたい。ライブの対バンがどうとか、出演順番がどうとか言うよりも、彼等にとっては『演奏出来る』事が最重要なのだ。
横山からの指示通り、各自の音のレベルチェックを行い、演奏を開始する。セットリスト(※)二曲目をワンコーラス流しながら、優介は声を出し、足元のモニターをチェックした。
「すいませーん、もう少し、返し下さい」
光洲が横山にそう頼む傍らで、ダグはベースを弾きながらステージを降り、客席の中央で『出音』をチェックしている。優介が歌いながらギターの音色を変えてみせると、ダグは暫し様子を見て、満足そうに頷いた。
持ち時間の十五分をフルに使い、リハーサルを終了する。お決まりの挨拶を横山と交わし、機材を下げ始めたあたりで。ホールの入口からふらりと、ギターのハードケースをぶら下げた影が現れた。
「あれ? もしかして、もうリハ終わった?」
その間抜けな問いに、一斉にステージから白い眼が向けられる。そこには派手な金髪にライダースを着込んだ男が、ばつの悪い笑顔を浮かべて立っていた。
「おお? タツじゃねえかよ。お前うちのバンド、もう辞めたんだろ?」
「えっ? 辞めてないッスよ、コウさん! ああ、ホンットにすいません! ちょっと仕事が長引いちゃって」
「ふーん……まあ、そう言う事にしておいてやるか」
光洲――通称『コウ』はそうタツを睨み付けると、スネアをケースに仕舞いながら、意味深に笑った。それにタツが参ったと言う様に、緩い溜息を吐く。そしてステージから降りて来た優介の傍へ寄った。
「悪い、遅れて」
「……」
「おおっ? せっかく俺が殊勝に謝ってんのに、無視かよこの餓鬼は」
顔を背け黙々と機材を仕舞う優介に、自身を棚に上げたタツが眉を顰める。そして軽く屈んだ背中を蹴る真似をすると、優介が手を止め勢いよく振り返った。
「ウルセエよ、全くテメエってやつは! 俺が昼休みに『リハまでにはちゃんと来い』って電話したのに、何だよコレ? お前アレだろ、三歩歩いたら忘れるニワトリだろ!」
「ニワトリじゃねえ、つうかお前こそ、ナニ尻の穴の小さい事で怒ってんだよ?」
「尻の穴の問題じゃねえよ! つうか、お前……仕事って嘘だろ」
「ハァ?」
「何だよ、この女クサさは? 本番前にヤってる暇があったらリハに来い、この変態がッ!」
「痛てッ! 何だ一発くらいで眼クジラ立てやがって。ははーん、お前さては溜まってんな。良いぜ、今度混ぜてやるよ」
「結構ですッ、つうか、テメエの『使用済』なんか要らねえっての!」
「グエッ!」
硬いブーツの靴先で大腿の裏を蹴られ、タツが半分崩れかける。それを当然と睨み付けると、優介はさっさと控室へと消えた。
「終わったか? じゃ、行くぞ馬鹿」
傍らで見ていたコウが、ダグと共にタツの腕を掴む。次のリハの為に入って来た対バンの連中が、驚き唖然とする中で、タツは悪態を吐きつつホールを引き摺りだされた。
――見るからに柄の悪い、すぐキレそうに見えるタツと、その相手を容赦無く罵り蹴る、妙に目付きの悪い優介。本人達およびバンドのメンバーにとって、この程度の揉め事はそれこそ『挨拶』なのだが、それを知らない周囲には堪らない。こんな調子に加え、実際に喧嘩になる事も珍しくない上に、焦って止めに入ったスタッフや客を殴り倒してしまう事もある。それが原因で、他の規律厳しいホールからは、出入禁止を食らっていた。
とは言え、優介もタツも心底では互いを深く信頼し合っているようで、音楽的には頗る相性が良い。だからどちらかをクビにするという事には、今まではならなかった。
しかし。
こうしてライブとなると迷惑を一番被るのは、不運にも彼等と行き会ってしまった、気弱な対バンなのかもしれない。
騒ぎの後にリハーサルを始めた、社会人らしき五人組のポップバンドは、このような荒っぽい連中と初めて対バンに当たったのだろう。その演奏は可哀想なくらい萎縮していて、横山は心から哀れに思う反面、あまりの様子の可笑しさに笑った。