徒然50%、何か20%、エロ20%、書き(描き)散らし5%、良心5%、所々18禁発言放置に付、ご注意を。
現国の教師は、同舟という口ひげをはやした男だった。
年の頃、三十半ば。「天才は三十前に死ぬ。私はもう三十過ぎました。天才になることを願っていましたが、なれませんでした」というのが口癖の、一風変わった教師だった。
高校二年の夏休み。同舟は私たちのクラスに宿題として、かの三島由紀夫が著した金閣寺の感想文を書け、とのたまった。
「あらすじではいけません。きちんと感想を書いてきなさい」
同舟はそう言って、二重の大きな目をきょろきょろさせながら原稿用紙を配った。
学校は進学塾と同じで「受験を勝ち抜く生徒を育て、より偏差値の高い大学へ進学させる」のが目的だったから、同舟のやりかたは少しずれていたのだと思う。それを表すように、私たちの学年が卒業する時、同舟も突然学校を退職した。
そして、数年後。私はバンドの連中と、あるコミュニティFMの番組に出演させてもらう機会を得た。そしてその打ち合わせのために放送局を訪れて、思わぬ人物が居たのに驚いた。
「同舟じゃん、あれ!」
眼の前のブース内には、少し皺の寄った同舟がリラックスした様子で座っていた。どういうコネを使ったのかは知らないが、どうやら教師を辞めた後ラジオのパーソナリティーとして活動していたらしい。
しかも持ち番組のタイトルは「同舟人語」。何をパクッたかは一目瞭然だ。人生相談から時事ネタ、雑談まで、徒然に毎週一時間ほど喋っているらしい。少し斜めに物事を見るところは昔とまったく変わっておらず、それが逆に安心した。
「先生、ご無沙汰してます」
番組が終わり、ブースを出て来た同舟にそう声を掛けると、彼は一瞬驚いてからバツが悪そうに笑った。
卒業してから数年たっていたが、私を覚えていてくれたらしい。挨拶を交わし近況報告をすると、バンドなんか食えないぞと諭された(ああ、まったくその通りだ)。
悔しいので、夏休みに出された金閣寺の感想文は最悪に評判悪かったと言ってやると、同舟は笑いながら、適当に選んだらあの本だったのだと白状した。そして
「あんなクソみたいな学校で、まじめに教師なんかやってられっかよ」
と、まるで悪童のごとく歯を剥いて笑った。
同舟は、今でもどこかで喋っているだろうか。
金閣寺という小説についての話題を見るたび、私はこの年になっても彼を思いだすのだ。
……みたいな話を整理して肉付けして、どっかのエッセイにでもつっこもうかみたいな一発書き。
ちなみに学校の近くにはビリヤードクラブがあって、放課後友達とこっそり通ったりしてました。そこでちょこっとだけ基礎を教えてもらったり。
しばらくやってませんが、たまに打ちに行きたいなあ。
いや、四つ玉じゃないから。そこまで年取ってないから。
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活字好きに加えて重度の音楽中毒。JPOP以外の話題に過剰に反応。
年齢的にイイ大人なので、大人の話も大好き(ニヤリ)
twitter→kyomoto
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